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TOPINTERVIEW 飯森範親さん

指揮者の自分を忘れ、
音楽にのめり込んでしまう体験がある。

指揮者飯森 範親さん

国内外で数多のオーケストラを指揮し、クラシック音楽界を牽引するマエストロの飯森範親さん。20代の頃からドイツで修行されていたこともあり、本場の劇場で巨匠たちが奏でる音楽に触れる機会も多かったそうです。一流の指揮者として、公演では何を感じ、自身の表現にどう生かされているのか。お話を伺いました。

音楽に引き込まれるという、生体験ならではの感覚。

ほかの表現者の方のコンサートを観に行かれる際、どのようなところに注目されていますか?

職業柄、指揮者には意識がいきますし、もちろんオーケストラの音のバランスや、楽器の響きにも気にしながら鑑賞しています。やはりどうしても指揮者的な立場で聴いてしまうことが多いのですが、時にそれさえも忘れさせてしまうような素晴らしい公演があり、そういったものこそが、自分の中ではとくに印象に残っています。

これまでに観客として参加された生の公演の中で、とくに印象深いものについて教えてください。

たくさんあるのですが、とくに神がかっていたと思うのは、ドイツの巨匠、ギュンター・ヴァントさんがお亡くなりになる数ヶ月前の公演で指揮をした、ブルックナーの『交響曲第4番』。ミュンヘン・フィルの演奏で聴けたというのも自分にとってはラッキーでしたし、わたし自身も指揮者としての自分を忘れて、音楽にのめり込んでいました。

終楽章でギュンター・ヴァントさんがよろけて、指揮台から足を踏み外してしまったんですよ。そして、チェロとヴィオラの方に抱えられながら指揮台に戻って、また振り出してという手に汗を握るシーンがありました。そういった臨場感も含めて、神がかったブルックナーの世界に引き込まれたという感覚でした。ギュンター・ヴァントさんはブルックナーの演奏で素晴らしい評価を持つ指揮者でいらっしゃいましたし、人生最晩年の公演に立ち会うことができたというのはとても幸運で光栄です。

もし配信で観られていたら、そこまでの感動はなかったと思われますか?

ないでしょうね。たとえば、会場の演奏者をアップで観たり、指揮者を正面から観ることは、生の公演ではステージ後部のP席を除けば難しいでしょう。そういうアングルで表情を観ることができたり、曲自体を知るきっかけになるという意味では配信も良いとは思います。しかし、スタッフの方々がテクニカルな面で最大限に努力をしてくださっているとはいえ、会場の空気感や、音の響きの奥行き感、余韻が残った時の倍音などは、やはり会場で体験しないと感じることは難しいと思います。

音楽を通じて会場との繫がりが見える、不思議な指揮。

指揮者として舞台に立ち続けられていますが、普段はどのような思いで公演に臨まれていますか?

会場内の皆さんと見えない糸でつながっているような、そういう指揮を目指したいと思っています。そう強く感じたのは、指揮者のベルナルト・ハイティンクさんが、ベルリン・フィルとのマーラーを演奏された時のことです。ハイティンクさんは、ベルリン・フィルのメンバーの方々からは絶大な支持があるようです。

その理由は何だろうと思いながら鑑賞していたのですが、『交響曲第3番』の終楽章で、タクトから、糸のようなものが出ていて、楽団員の一人ひとり、そして会場内の全員とつながっているような感覚になりました。指揮は、手を振っているだけではなくて、呼吸感が重要ですが、まさにすべての人がハイティンクさんの呼吸感に支配されているような。そのような不思議な感覚は初めてで、これが彼の魅力なんだと思ったのを鮮明に覚えています。

会場の全員とつながっている感覚というのは、まさに生の公演だからこそ得ることができる体験ですね。

じつはこの話には続きがあります。ミュンヘンに住んでいた時、日本から母が遊びに来たことがありました。いい機会なのでロンドンへ行き、コヴェント・ガーデンで、英国ロイヤルバレエ団の『ロミオとジュリエット』を鑑賞しようと思ったのですが、人気の公演だったのでチケットが売り切れだったんです。仕方なく、「チケットを売ってほしい」と紙に書いて持っていたら、運良くジェントルマンがチケットを譲ってくれました。

会場に入ると、オーケストラピット(楽器を演奏するエリア)がよく見える席だったのですが、予定していた指揮者がキャンセルになったと書いてあったので、誰が振るのかと思っていました。オーケストラピットに登場したのが意外にもハイティンクさんで。その時も、やはりベルリン・フィルの時と同じような感覚があり、オーケストラの一人ひとりや、バレエダンサー、会場内全員が、ハイティンクさんの奏でる音楽の推進力やメランコリックな表現に乗せられて、糸でつながっているような確信を持ちました。
終わった後のカーテンコールでは、観客だけではなく、オーケストラやダンサーのみなさんからもハイティンクさんに向けて大きな拍手が送られていましたね。急遽キャンセルになったくらいなので、そこまで練習する時間もなかったと思うんですよ。そういう貴重な公演に立ち会えたのは、まさに生の醍醐味、そんな嬉しい出来事でした。

よろこびと感謝を忘れずに、新たな道を信じて進む。

これからの公演産業に期待されていることや、今後挑戦されてみたいことはありますか?

コロナ禍で、自分の人生ってどうなるんだろう、仕事はどうなっていくんだろうと悩んでいる方も多いと思います。わたし自身、いつも10年のスパンで次の計画を考えてきたのですが、コロナ禍で色々なことを考えさせられました。ですが、やはりこれまで自分自身がやってきたことを信じて、これからも続けていくしかないと思いました。だからこそ、自分を求めてくれるオーケストラを大切にしようと思い、来年から「パシフィック フィルハーモニア東京(東京ニューシティ管弦楽団から改名)」の新音楽監督として、新たな航海に出ることにしました。

今は演奏会ができるよろこびや、仕事ができるということへの感謝を感じながら、お客様に楽しんでいただける環境を皆でつくっていくしかないと思っています。おのずと、自分にとっても、音楽業界にとっても、新しい道が見えてくるのではないかと信じています。

最後に、生の公演を愛する方々へ、メッセージをお願いします

クラシックコンサートでは、先入観なく音楽のシャワーを浴びていただくのももちろん素晴らしい聴き方だと思いますが、
曲にまつわるストーリーをある程度予習してから聴くのもより楽しめると思います。交響曲を伝統的な形式に則って厳格に書いている作曲家だけではなく、様々な事象・情景を思いながら書いている作曲家もいると思うんです。

たとえば、ブラームスの曲は情景や感情などの表現から離れた“絶対音楽”だと言われていますが、『交響曲第2番』からは、どう考えても南西ドイツの田園風景を感じます。やはり、自分の体験や感性は曲に反映されているものなんですよね。だからこそ、そういう作曲者の予備知識をほんの少しだけでも入れてから聴いていただけると、より一層クラシック音楽に浸かることができると思います。

今は我慢することも多いですが、人類はかならず乗り越えることができると信じ、みんなで生き抜いていきましょう。その先には必ずや明るい未来・そして音楽が待っています。

オーケストラと観客の視線を一身に集め、会場を一つに繋ぐ指揮者。飯森さんは、時に音楽にのめり込み過ぎるあまり、まるで作曲者が自分に憑依したような感覚になることもあるそうです。画面を通しては絶対に味わうことができない臨場感と、クラシック音楽の持つ壮大な世界観。ぜひ、劇場で体験してみてください。

飯森 範親さん指揮者

1963年生まれ。神奈川県鎌倉市出身。桐朋学園大学指揮科卒業後、ベルリンとミュンヘンへ留学。現在は、日本センチュリー響首席指揮者、山形響芸術総監督、東京響特別客演指揮者、いずみシンフォニエッタ大阪常任指揮者、東京佼成ウインドオーケストラ首席客演指揮者、中部フィル首席客演指揮者など、国内外の数々のオーケストラを指揮。2021年4月に東京ニューシティ管弦楽団のミュージック・アドヴァイザーに就任し、2022年より同オーケストラが改名した、パシフィック フィルハーモニア東京の音楽監督に。

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